幻のポートレート【1】
【あらすじ】
若手の画家が、一人の少年と出会う、少年が女装してモデルになった絵を描き、それが美術展で入選する。逢うたびごとに女性として成長する少年。その秘められた謎、それを追い求めて、画家は雪山に向かう。
第1章 霧の中の出会い

冬の午後は3時を過ぎると、どんどん冷え込んでくるため、いつもならスケッチを終えて帰り支度をしていただろう。
その日は朝から霧が発生して、お城の公園の中でも視界が遮られていた。2月にしてはその分だけ気温は高く、私こと坂崎隆一は、松本城のデッサンを仕上げようとしていた。
その時、私の後ろに一つの人影が近づいて来た。こうしてデッサンなどしていると、後ろから覗きこむ人が結構いるのだ。しばらくすると、その人影が話しかけてきた。
「お兄さん、絵描きさんなの。とても素敵なデッサンですね」
「ほんの下書きでね、今日はこれぐらいにしておこうかと思ってるんだ」
「お兄さんは、いつもどんな絵を描いているの」
「一言で言うと風景、野や山や自然と、古くからある建造物かな」
「どういうところが気に入ってるの」
「山や大地、それと、古い建物のもつ美しさかな」
「お兄さんは、人やモデルなんかは描かないの」
「あまり注文がないのでね。本当は人物画には自信があるんだよ」
「注文がないと描けないの」
「そうだね、風景の絵は飾りとして売れるけど、人物画は難しいんだ。」
「じゃあ、僕を描いてくれる。僕が注文すれば良いでしょ。お兄さん、お願いします」
「しょうがないなぁ。ここでは寒いから、僕のアトリエで描こう。ついておいで」
「はい、お願いします」
「アトリエと言っても、古い1LDKだけど、リビングルームが広いので気に入っているんだ。」

少年の名は、仁科尚文。17歳。父の経営する会社が東京にあるため、東京の京王学院大学の付属高校に通っている。高校2年生、父の再婚相手や東京の家になじめず、母と暮らした想い出のある、松本の家に帰ってきているのだ。
その日のうちに少年と話し合い、彼をモデルとして私が作品を作ること、モデル料は払わない(私の収入では払えない)と言うことで納得した。その晩にあらかたのデッサンを仕上げて、次回は3月の学校が休みの日ということになった。
尚文少年は、身長は160センチほどの小柄で、顔色も青白く、やせていてまるで病人のような陰気な感じがしていた。でも笑うと幼くあどけないところがあり、デッサンをしている私は、久しぶりに楽しい時間を過ごせた。
3月の最終の土曜日、私は松本城の堀端でのデッサンを終えて、そろそろ帰ろうかなと思い始めた時、後ろから近づく人の気配がした。尚文少年だった。
「坂崎さん、遅くなってごめんなさい。この前の続きをお願いします」
「そうだったね、待ってたんだよ。じゃぁ、私のアトリエに行こう」
「坂崎さん、前よりも、ずいぶん片付いていますね」
「尚文くんが来るから、少しは片付けたんだよ」
「それじゃぁ、もう少し台所の片付けもお手伝いします」
「モデルじゃなくて、家政婦さんになるつもりかな」
「片づけが済んだら、モデルになります」
その日、下絵がほぼ終わり、絵の具をぬるところまでで終わった。
2月の尚文少年のデッサンと比べると、以前より顔色が良くなっているような気がした。
松本にも春が来て、桜の花も満開となり、街を行き交う人々の服装も、明るく華やいだものになってきた。そして、新年度の絵画展の日程が決まり、私も何を出品するか決断を迫られていた。そんなゴールデンウイークを間近に控えた夕方、松本駅前の交差点で尚文少年と出会った。
「坂崎さん、今から良いですか。モデルだけでなく、家政婦もしますよ」
「おいおい、冗談はよせよなぁ。でも掃除ぐらい手伝ってもらうか。それで高校は?」
「はい、無事に3年になりました」
「そうか良かったな、今夜は飯でもおごるか」
その夜と次の日で、最初の作品がなんとか完成した。ただ作品の中の尚文少年と、目の前にいる彼の雰囲気がどこか違うのだ。
あえて言うならば、今の尚文少年の方が、明るく元気な感じがするのだ。初めて出会った2月から、出会うたびに明るく元気になっているようで、もう病人のような陰気なところは、どこにもなかった。
「ねぇ、坂崎さん、僕のポートレートなんですが、少し暗い感じですね。できれば、もっと違った感じに描いてもらえませんか」
「そうだなぁ、まあ冗談だけど、女の子にでも描いて見ようか」
「えっ、本当ですか。僕はそれでもいいんです。次は女の子の服を持ってきます」
尚文少年は、うれしそうに帰って行った。
第2章 女装のモデル
5月になり木々が鮮やかな若葉を装い、さわやかな風がふきわたる気持ちのよい夕暮れだった。松本城のスケッチを終わって帰りかけた私に、一人の少女が近づいて来た。ローズピンクのドレスに、白いふちの大きな帽子を被ったその少女が近づいて来た。
「坂崎さん、誰だか分かる、ナオミ、私は尚文よ」
「えっ、まさか、ナオミちゃんって、本当に尚文くんか?」
「びっくりしたでしょう。今日は母の若い頃のお洋服のサイズがあうかどうか、試着してみたら、あまりにぴったりだったんです。だからそのまま来ちゃった」
「大胆だなぁ、靴も帽子もすべてお母さんのもの?。ぴったりだね」
「坂崎さん、ナオミって可愛いくみえますか?」
「うんそうだね、とっても可愛く見えるよ。尚文くんじゃないみたいだね」
「尚文じゃなくて、今夜は尚に美しいと書いて、『尚美』と呼んで欲しいな」
「それじゃあ、本当に女の子のように描いても良いんだね」
「もう坂崎さんたら、女の子のようにじゃなくて、尚美という女の子を描いてください」
「はいはい、おかしな高校生の尚美ちゃんを、描かせていただきます」

女装しているにもかかわらず、恥ずかしがるどころか明るく振舞う彼女を見ていて、私の心までもが、うきうきするような時間が過ぎて行った。短い休みは、あっという間に終わり、彼女は帰って行った。
6月になり、初夏の日差しが容赦なく照りつける中で、穂高連峰の山並みを私は描いていた。梅雨のあいまの外での作業を、早めに切り上げて自宅に帰ると、芸術大学の研究室に勤める秋山からの速達が届いていた。
東京のC美術館の作品展で「青い服を着た少年」と題して応募した尚文君の絵が大賞に選ばれたというのだ。27歳にしてやっと果たした入選が大賞だなんて思いもしなかった。このうれしさを誰かに伝えずにはいられなかった。
まるで私の気持ちが通じたかのように、その日の夕方きれいなドレスを着た尚美、いや女装した尚文君が、私のアトリエを訪ねてきた。
「こんにちは、坂崎さんいますか。尚美です」
「よくきてくれたね、尚美ちゃん、君のおかげだ。今夜はお祝いにしよう」
「何かあったんですか、作品展で入賞ですか。本当ですか、うれしい」
「さあ、美しいお姫様。今夜はレストランにお連れしましょう」
「坂崎さん、今日は尚美のお誕生日なの。もう18歳のレディーなのよ」
私はもうすっかり彼女が女装していることも忘れて、いつになく高級なレストランに行き、ローズピンクのかわいいドレスを着た尚美をまるで恋人のように扱った。酒に弱い私は、すっかりワインに酔ってしまった。
家に帰りついたのも知らず、気がつくと私は、ベッドの中で尚美を抱きしめていた。彼女も覚悟をしていたのか、ドレスの下に身に着けていたレディスインナー姿で身体を堅くしていた。
私は目の前にいる尚美が、とてもいとおしいと思った。できるだけ優しく彼女を抱き寄せて、そっとくちづけをした。いつのまに伸ばしたのか、彼女の髪の毛は長く、お化粧までしていることに気がついた。
ドレスを脱ぎ、下着姿の尚美は、隆一の理性を失わせるのに十分なほど、女性的だった。部屋の電灯の赤い光の中で、隆一はベッドにいる白いブラジャーとショーツ姿の尚美を見つめた。

隆一は、彼女に近寄り、尚美を強く抱きしめていた。
「尚美ちゃん、君のことが好きだ。今夜、私は君が欲しい」
「坂崎さん、あなたの好きなようにして。隆一さんのことが好きなの」
「尚美ちゃん、ありがとう。」
「尚美って、呼んで。」
「尚美、愛してるよ。」
私は尚美のうなじのあたりから、唇を這わせながら、さらに首筋から胸元のあたりにキスマークが残るぐらい、激しくキスを繰り返した。そして、彼女の一番たかまりを迎えている部分をさけて、太腿から足首、さらに指先までを舐め尽くした。
「ああ、もうだめっ。お願い、隆一さん、次は私にまかせて。」
「ああ、そんなにきつく、くわえなくても良いんだよ。ああ、そうだよ。」
「これでいいの、感じてるの。」
「ああ、そうだよ。おおーっ、すごくいい、ああーっ。」
尚美の舌がからみつくように、先端を刺激するたびに、私は声をあげてしまった。
そして隆一がのぼりつめようとした時、
「尚美の中でいって欲しいの、隆一さんのものを私にちょうだい。」
「なおみ、本当にいのかい。入るよ、そっとするからね。」
「はぁー、うっ、ううっ、」
「なおみ、痛むのかい。」
「大丈夫よ、もう大丈夫。隆一さんの感じるようにして。」
私は両手を尚美の腰にあてて、少しずつ腰を前後に動かし始めた。尚美は長い髪をゆらしながら私と一体になり、声を押し殺すようにしていた。ついに私も頂上に達する時が来た。
「なおみ、とってもいいよ」
「隆一さん、なおみも感じるわ。」
「なおみ、今にも、ああー」
「おねがい、そのまま、とっても、あっ。」
尚美の身体がぴくっとなり、その瞬間、締め付けられた私も精を迸らせていた。
朝日が容赦なく降り注ぐ、私が目を覚ました時には尚美、『尚文君』はいなかった。昨日のことが、まるで夢のような気がしていた。しかしテーブルの上には、大賞を知らせる速達があった。
東京での授賞式の後、私はテレビや美術雑誌のインタビューなどで忙しく、十分に絵を描く時間もなかった。気がつくと8月も終わりかけていた。夏休みの間は家族とカナダで過ごすため、尚美こと『尚文君』とも会えなかった。
しかし私のアトリエには、美しい尚美の肖像画があり、恋人のように優しいまなざしで、ほほえむように私を見つめていた。ローズピンクのドレス姿で、黒い瞳の美しいの絵の中の尚美は今の僕にとっては、恋人のようではなく、恋人そのものだった。
第3章 奇跡の入選
夏休みを家族とカナダで過ごしている、『尚文君』とは会えなかった。
しかし私のアトリエには、美しい尚美の肖像画が出来上がっていた。
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優しいまなざし、愛らしい口もと、ローズピンクのドレスのふくよかな胸元。ウェストから広がるプリンセスライン。黒い瞳がほほえむように、振り返り、私を見つめていた。
東京の美術展に出す作品は、「尚美のポートレート」に決めた。
9月に来た尚美はさらに美しくなっていた。
まるで成人の女性のように美しく、高校生の男の子が、女装しているとは思えなかった。
また彼女も、私の前では、微塵も男としての振る舞いはなかった。
夕方は私のモデルとして、微笑んでいた。
彼女の年は確か18歳だったはずだが、25歳ぐらいに見えた。
そして、夜は私の恋人として、尚美は私の腕の中で身を任せていた。
東京から月に一度しか来れないことが、余計に二人を熱く萌えさせるのだった。
尚美には、下半身に女性にはないものがあったが、小さく硬直して彼女が喘ぎながら官能のよろこび表すことが愛おしかった。
僕は何度も彼女の中で、ほとばしるように精を放った。
彼女をモデルとした作品を私は描きつづけた、そして私には奇跡のようなことが起こった。
東京の美術展に出した「尚美のポートレート」が入選したのだ。1年の間に2度も大きな賞を取れるなんて、私には奇跡としか思えなかった。
銀座の画廊や横浜、京都の画商からも私の絵を扱いたいと申し出があり、松本の街に戻れぬ生活が続いた。
気がつけば、新年を迎えていた。1月の末で狭い松本のマンションから引越すことになって、夕方の日差しの中で一人で片付けをしていた。
「こんにちは、隆一さん。やっと会えたわ。」
「尚美ちゃん、ごめんね。なんかいろいろあって、留守ばかりしてたんだ」
「ううん、最近の隆一さんは画家として、活躍しているのが嬉しいの」
「今夜も、ゆっくりして行けるんだろう」
「それが、きっと今夜は父が、私を迎えに来るの。だから、暗くなるまでここに居させて」
「そうか残念だな、じゃあ描きかけの絵を仕上げようか」
「ここに座っていたらいいの」
「そう、そこでじっとしてね」
尚美の絵を仕上げようと、彼女を見つめていると、いつもと違い、どこかさびしそうな不安そうな感じだった。絵を描き上げて、二人で批評しあった。彼女には話さなかったが、今の尚美は前にも増して、大人の女性としての美しさがあった。それは決して18歳の高校生ではなく、25歳ぐらいの女性としての優雅さがあった。
「もうそろそろ、家に帰るわ。勝手に学校を休んだ私を、父が迎えに来るころだから」
「学校で、何かあったのかい?」
「実は来週はじめに、卒業記念の耐寒登山があるの。それに参加するのがイヤで、隆一さんに会いに来たの」
「それって、絶対参加の行事なのかい?」
「そうでもないんだけど、お父さんが参加しろと言っているの」
「それなら、無理に参加しなくてもいいのに、お父さんが許してくれないのか」
「ええそうなの、男がそれぐらいのことができなくて、家の会社の後が継げるかって」
「君は、社長になる定めなんだね」
「私が家を継ぐのじゃなくて、父が再婚した新しいお母さんの子どもに継いでもらいたいの」
「それなら君の考えをお父さんに、僕が伝えようか」
「ありがとう、でもやっぱり自分で話してみる」
「そうか、またいつでも困ったら逃げて来るんだよ。僕は君のことを、ずっと待っているから」
「ありがとう、さよなら。私のこと忘れないでね」
「尚美ちゃん、誰が忘れるもんか」
尚美が帰って行った後、さびしさ、孤独感が強くなってきた。なぜか、彼女を帰すんじゃなかったと後悔していた。
第4章 尚美の真実
次の日、東京の画廊に出かけているところへ、雑誌記者が訪ねて来た。
『尚美のポートレート』のモデルは一体誰なのかと言うことだった。
私は前にも話したように、東京の○○大学付属の高校3年生だと伝えた。
しかし、雑誌記者はそんな生徒はいなかったと言うのだ。
仁科と言う男子生徒が女装していたのだと説明したが、記者は携帯電話で学校に電話して、何かを確かめた後、 僕に話すのだった。
「いい加減なことを言って、モデルを隠さなくても良いじゃありませんか」というばかりであった。
画廊から、その学校は近くだった。
尚美の通っていた高校で事情を話して、仁科尚文と言う生徒を捜していると伝えた。
すると応対していた教頭が、驚いたような顔で話し始めた。
「仁科君は確かにうちの生徒でした。でもそれは10年前のことです。さらに悲しいことに、耐寒登山に参加して、なだれにあって遭難されたのです」
「どんな生徒さんだったんですか。」
「実は私が教頭になる前に、担任していたのです」
「他所では何も言いません、約束します」
「おとなしい、優しい子でしたが、クラスの中では目立たないほうでしたね」
「 お母さんが亡くなり、お父さんと後妻さんと暮らしていましたが、時々、松本のお母さんのお墓参りに行かれていたようです。」
「他には、何か事情でもあったのでしょうか、お父さんとの間で」
「ただ、お話してよいか・・・。実は、尚文君がお母さんの服を着て女装することがあり、お父さんは、何度かやめさせようと努力されたようです。」
「耐寒登山も男の子らしくさせたいと、本人を説得して参加させたのです。それがあんなことになってしまった。遭難にあったのは、皆からほんの少し離れたところでした。」
「それは、いつのことですか?」
「ちょうど、明日で10年です」
尚美に会えるかもしれない、そう感じた私は車を走らせた。その山は一度行ったことがある、地元で消防団をしている民宿のおやじに、なんとか十年前の遭難場所に案内してくれと頼んだ。
民宿のおやじは、スノーモービルで明日の朝、山に連れて行ってくれると、快く引き受けてくれた。
翌朝は、青空が澄みわたるような快晴でした。
「すみません、今日は面倒をお掛けします。よろしく」
「お客さんは、ご親戚の人かね。あの時も朝は晴れてたんだ」
「それでどうして、なだれが起きたんですか」
「あの日、急に雷がなったんだ、その振動で表面の雪が崩れたんだね」
民宿のおやじがスノーモービルで、20分ほど走ったところだった。私は礼を言って、帰りはゆっくり一人で降りるからと別れた。抜けるような青空だった、ゆっくりゆっくりと、民宿のおやじが指差した現場に歩いて行った。
しばらくすると急に風がふきはじめた、空の一点が黒くなり雪雲がせまってきた。雪が舞い上がり顔にかかった。
ふと前を見ると、ローズピンクのドレスを着た尚美が見えた。彼女は、僕のことに気がついたようだった。

そのときすぐ近くで雷鳴がした。ゴーゴーというような鈍い音がした、最初は、霧のように雪面から湧き上がり、雪崩が雲のように斜面を下ってきた。すぐに私たちに襲いかかるように向かってきた。
少し離れたところで、来ないでと言うように彼女は手を振っている。僕は斜面を駆け上がり、彼女の手を掴んだ。その瞬間、二人は真っ白い雪にのみ込まれてしまった。
地面に倒れた尚美に近寄り、抱き寄せた、暖かい尚美の手を握りしめた。その瞬間、二人は、真っ白い雪に閉じ込められていた。
雪崩のなかに、僕たちはいた。
「尚美、だいじょうぶかい?」
「隆一さん、少し頬から血が」
「大丈夫、かすり傷だよ。尚美、会いたかったよ」
「でもよかった、君を迎えに来たんだ」
「隆一さん、もう私は帰れないのよ」
「何を言ってるんだ」
「あなただけでも、助かってほしいの」
「二人で頑張るんだ、僕たちの幸せのためにも」
「あなた、私は今のままでも幸せよ。あなたに会えて本当に良かった」
「尚美,愛してるよ」
その時ふたたび、ゴォーという音がして、持ち上げることができないほどの雪に覆われてしまった。 少しだけ、身体を動かす余裕があった。
雪に閉じ込められた空洞には、少し余裕があり、何とか尚美の身体に僕のコートを着せて、彼女を抱きしめた。まだ私達は寒くはなかった、私達はお互いに抱擁し、少しは暖かくなった。お互いの身体を寄せ合って、そして私は尚美にくちづけをした。
「尚美のために、ごめんなさい」
「尚美、君に会いたかったんだ」
「隆一さん、今こんなに近くで、あなたを感じているわ。」
「尚美、素敵だ、君と抱き合っていると、とっても暖かいよ。」
昨夜はよく眠れなかったせいか、眠気が襲ってきた、少し熱い。
「隆一さん、寝ちゃダメよ、あなただけでも助かってほしいの」
「なんかとっても眠い、なおみ」
「隆一さん、寝ないでね、あなた」
彼女の声が遠くなりかけ、気を失ってしまった。
サイレンの音を聞いたような気がした。
「坂崎さん、気がつかれましたか」
目がさめたら病院のベッドの上だった。
「どこか痛むところはありませんか」
「ああ、いいえ別に」
僕の腕は、脈を測る白衣の看護師に握られていた。
「あのー、僕のほかに、もう一人も無事でしたか?」
「いいえ、遭難されたのはあなた一人だったのですよ」
看護師の話しでは、雷の音がしたので民宿のおやじが心配して、また山に上がってみたら雪崩れが起きていた。それですぐに救助されたので命が助かったのだろうと言われた。
救助されたとき、幸運なことに、自然にできた洞穴のような部分にはまりこんだので、呼吸もできた。それが幸運だったのだろうと言われた。
雪崩れによる遭難者の多くは、窒息によるものが多いという話だった。
私が頭を掻くと、一本の繊維が落ちてきた。ローズピンクのきれいな色だった。
続きをお読みになるには、第5章へ
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【あらすじ】
若手の画家が、一人の少年と出会う、少年が女装してモデルになった絵を描き、それが美術展で入選する。逢うたびごとに女性として成長する少年。その秘められた謎、それを追い求めて、画家は雪山に向かう。
第1章 霧の中の出会い

冬の午後は3時を過ぎると、どんどん冷え込んでくるため、いつもならスケッチを終えて帰り支度をしていただろう。
その日は朝から霧が発生して、お城の公園の中でも視界が遮られていた。2月にしてはその分だけ気温は高く、私こと坂崎隆一は、松本城のデッサンを仕上げようとしていた。
その時、私の後ろに一つの人影が近づいて来た。こうしてデッサンなどしていると、後ろから覗きこむ人が結構いるのだ。しばらくすると、その人影が話しかけてきた。
「お兄さん、絵描きさんなの。とても素敵なデッサンですね」
「ほんの下書きでね、今日はこれぐらいにしておこうかと思ってるんだ」
「お兄さんは、いつもどんな絵を描いているの」
「一言で言うと風景、野や山や自然と、古くからある建造物かな」
「どういうところが気に入ってるの」
「山や大地、それと、古い建物のもつ美しさかな」
「お兄さんは、人やモデルなんかは描かないの」
「あまり注文がないのでね。本当は人物画には自信があるんだよ」
「注文がないと描けないの」
「そうだね、風景の絵は飾りとして売れるけど、人物画は難しいんだ。」
「じゃあ、僕を描いてくれる。僕が注文すれば良いでしょ。お兄さん、お願いします」
「しょうがないなぁ。ここでは寒いから、僕のアトリエで描こう。ついておいで」
「はい、お願いします」
「アトリエと言っても、古い1LDKだけど、リビングルームが広いので気に入っているんだ。」

少年の名は、仁科尚文。17歳。父の経営する会社が東京にあるため、東京の京王学院大学の付属高校に通っている。高校2年生、父の再婚相手や東京の家になじめず、母と暮らした想い出のある、松本の家に帰ってきているのだ。
その日のうちに少年と話し合い、彼をモデルとして私が作品を作ること、モデル料は払わない(私の収入では払えない)と言うことで納得した。その晩にあらかたのデッサンを仕上げて、次回は3月の学校が休みの日ということになった。
尚文少年は、身長は160センチほどの小柄で、顔色も青白く、やせていてまるで病人のような陰気な感じがしていた。でも笑うと幼くあどけないところがあり、デッサンをしている私は、久しぶりに楽しい時間を過ごせた。
3月の最終の土曜日、私は松本城の堀端でのデッサンを終えて、そろそろ帰ろうかなと思い始めた時、後ろから近づく人の気配がした。尚文少年だった。
「坂崎さん、遅くなってごめんなさい。この前の続きをお願いします」
「そうだったね、待ってたんだよ。じゃぁ、私のアトリエに行こう」
「坂崎さん、前よりも、ずいぶん片付いていますね」
「尚文くんが来るから、少しは片付けたんだよ」
「それじゃぁ、もう少し台所の片付けもお手伝いします」
「モデルじゃなくて、家政婦さんになるつもりかな」
「片づけが済んだら、モデルになります」
その日、下絵がほぼ終わり、絵の具をぬるところまでで終わった。
2月の尚文少年のデッサンと比べると、以前より顔色が良くなっているような気がした。

松本にも春が来て、桜の花も満開となり、街を行き交う人々の服装も、明るく華やいだものになってきた。そして、新年度の絵画展の日程が決まり、私も何を出品するか決断を迫られていた。そんなゴールデンウイークを間近に控えた夕方、松本駅前の交差点で尚文少年と出会った。
「坂崎さん、今から良いですか。モデルだけでなく、家政婦もしますよ」
「おいおい、冗談はよせよなぁ。でも掃除ぐらい手伝ってもらうか。それで高校は?」
「はい、無事に3年になりました」
「そうか良かったな、今夜は飯でもおごるか」
その夜と次の日で、最初の作品がなんとか完成した。ただ作品の中の尚文少年と、目の前にいる彼の雰囲気がどこか違うのだ。
あえて言うならば、今の尚文少年の方が、明るく元気な感じがするのだ。初めて出会った2月から、出会うたびに明るく元気になっているようで、もう病人のような陰気なところは、どこにもなかった。
「ねぇ、坂崎さん、僕のポートレートなんですが、少し暗い感じですね。できれば、もっと違った感じに描いてもらえませんか」
「そうだなぁ、まあ冗談だけど、女の子にでも描いて見ようか」
「えっ、本当ですか。僕はそれでもいいんです。次は女の子の服を持ってきます」
尚文少年は、うれしそうに帰って行った。
第2章 女装のモデル
5月になり木々が鮮やかな若葉を装い、さわやかな風がふきわたる気持ちのよい夕暮れだった。松本城のスケッチを終わって帰りかけた私に、一人の少女が近づいて来た。ローズピンクのドレスに、白いふちの大きな帽子を被ったその少女が近づいて来た。
「坂崎さん、誰だか分かる、ナオミ、私は尚文よ」
「えっ、まさか、ナオミちゃんって、本当に尚文くんか?」
「びっくりしたでしょう。今日は母の若い頃のお洋服のサイズがあうかどうか、試着してみたら、あまりにぴったりだったんです。だからそのまま来ちゃった」
「大胆だなぁ、靴も帽子もすべてお母さんのもの?。ぴったりだね」
「坂崎さん、ナオミって可愛いくみえますか?」
「うんそうだね、とっても可愛く見えるよ。尚文くんじゃないみたいだね」
「尚文じゃなくて、今夜は尚に美しいと書いて、『尚美』と呼んで欲しいな」
「それじゃあ、本当に女の子のように描いても良いんだね」
「もう坂崎さんたら、女の子のようにじゃなくて、尚美という女の子を描いてください」
「はいはい、おかしな高校生の尚美ちゃんを、描かせていただきます」

女装しているにもかかわらず、恥ずかしがるどころか明るく振舞う彼女を見ていて、私の心までもが、うきうきするような時間が過ぎて行った。短い休みは、あっという間に終わり、彼女は帰って行った。
6月になり、初夏の日差しが容赦なく照りつける中で、穂高連峰の山並みを私は描いていた。梅雨のあいまの外での作業を、早めに切り上げて自宅に帰ると、芸術大学の研究室に勤める秋山からの速達が届いていた。
東京のC美術館の作品展で「青い服を着た少年」と題して応募した尚文君の絵が大賞に選ばれたというのだ。27歳にしてやっと果たした入選が大賞だなんて思いもしなかった。このうれしさを誰かに伝えずにはいられなかった。
まるで私の気持ちが通じたかのように、その日の夕方きれいなドレスを着た尚美、いや女装した尚文君が、私のアトリエを訪ねてきた。
「こんにちは、坂崎さんいますか。尚美です」
「よくきてくれたね、尚美ちゃん、君のおかげだ。今夜はお祝いにしよう」
「何かあったんですか、作品展で入賞ですか。本当ですか、うれしい」
「さあ、美しいお姫様。今夜はレストランにお連れしましょう」
「坂崎さん、今日は尚美のお誕生日なの。もう18歳のレディーなのよ」
私はもうすっかり彼女が女装していることも忘れて、いつになく高級なレストランに行き、ローズピンクのかわいいドレスを着た尚美をまるで恋人のように扱った。酒に弱い私は、すっかりワインに酔ってしまった。
家に帰りついたのも知らず、気がつくと私は、ベッドの中で尚美を抱きしめていた。彼女も覚悟をしていたのか、ドレスの下に身に着けていたレディスインナー姿で身体を堅くしていた。
私は目の前にいる尚美が、とてもいとおしいと思った。できるだけ優しく彼女を抱き寄せて、そっとくちづけをした。いつのまに伸ばしたのか、彼女の髪の毛は長く、お化粧までしていることに気がついた。
ドレスを脱ぎ、下着姿の尚美は、隆一の理性を失わせるのに十分なほど、女性的だった。部屋の電灯の赤い光の中で、隆一はベッドにいる白いブラジャーとショーツ姿の尚美を見つめた。

隆一は、彼女に近寄り、尚美を強く抱きしめていた。
「尚美ちゃん、君のことが好きだ。今夜、私は君が欲しい」
「坂崎さん、あなたの好きなようにして。隆一さんのことが好きなの」
「尚美ちゃん、ありがとう。」
「尚美って、呼んで。」
「尚美、愛してるよ。」
私は尚美のうなじのあたりから、唇を這わせながら、さらに首筋から胸元のあたりにキスマークが残るぐらい、激しくキスを繰り返した。そして、彼女の一番たかまりを迎えている部分をさけて、太腿から足首、さらに指先までを舐め尽くした。
「ああ、もうだめっ。お願い、隆一さん、次は私にまかせて。」
「ああ、そんなにきつく、くわえなくても良いんだよ。ああ、そうだよ。」
「これでいいの、感じてるの。」
「ああ、そうだよ。おおーっ、すごくいい、ああーっ。」
尚美の舌がからみつくように、先端を刺激するたびに、私は声をあげてしまった。
そして隆一がのぼりつめようとした時、
「尚美の中でいって欲しいの、隆一さんのものを私にちょうだい。」
「なおみ、本当にいのかい。入るよ、そっとするからね。」
「はぁー、うっ、ううっ、」
「なおみ、痛むのかい。」
「大丈夫よ、もう大丈夫。隆一さんの感じるようにして。」
私は両手を尚美の腰にあてて、少しずつ腰を前後に動かし始めた。尚美は長い髪をゆらしながら私と一体になり、声を押し殺すようにしていた。ついに私も頂上に達する時が来た。
「なおみ、とってもいいよ」
「隆一さん、なおみも感じるわ。」
「なおみ、今にも、ああー」
「おねがい、そのまま、とっても、あっ。」
尚美の身体がぴくっとなり、その瞬間、締め付けられた私も精を迸らせていた。
朝日が容赦なく降り注ぐ、私が目を覚ました時には尚美、『尚文君』はいなかった。昨日のことが、まるで夢のような気がしていた。しかしテーブルの上には、大賞を知らせる速達があった。
東京での授賞式の後、私はテレビや美術雑誌のインタビューなどで忙しく、十分に絵を描く時間もなかった。気がつくと8月も終わりかけていた。夏休みの間は家族とカナダで過ごすため、尚美こと『尚文君』とも会えなかった。
しかし私のアトリエには、美しい尚美の肖像画があり、恋人のように優しいまなざしで、ほほえむように私を見つめていた。ローズピンクのドレス姿で、黒い瞳の美しいの絵の中の尚美は今の僕にとっては、恋人のようではなく、恋人そのものだった。
第3章 奇跡の入選
夏休みを家族とカナダで過ごしている、『尚文君』とは会えなかった。
しかし私のアトリエには、美しい尚美の肖像画が出来上がっていた。
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優しいまなざし、愛らしい口もと、ローズピンクのドレスのふくよかな胸元。ウェストから広がるプリンセスライン。黒い瞳がほほえむように、振り返り、私を見つめていた。
東京の美術展に出す作品は、「尚美のポートレート」に決めた。
9月に来た尚美はさらに美しくなっていた。
まるで成人の女性のように美しく、高校生の男の子が、女装しているとは思えなかった。
また彼女も、私の前では、微塵も男としての振る舞いはなかった。
夕方は私のモデルとして、微笑んでいた。
彼女の年は確か18歳だったはずだが、25歳ぐらいに見えた。
そして、夜は私の恋人として、尚美は私の腕の中で身を任せていた。
東京から月に一度しか来れないことが、余計に二人を熱く萌えさせるのだった。
尚美には、下半身に女性にはないものがあったが、小さく硬直して彼女が喘ぎながら官能のよろこび表すことが愛おしかった。
僕は何度も彼女の中で、ほとばしるように精を放った。
彼女をモデルとした作品を私は描きつづけた、そして私には奇跡のようなことが起こった。
東京の美術展に出した「尚美のポートレート」が入選したのだ。1年の間に2度も大きな賞を取れるなんて、私には奇跡としか思えなかった。
銀座の画廊や横浜、京都の画商からも私の絵を扱いたいと申し出があり、松本の街に戻れぬ生活が続いた。
気がつけば、新年を迎えていた。1月の末で狭い松本のマンションから引越すことになって、夕方の日差しの中で一人で片付けをしていた。
「こんにちは、隆一さん。やっと会えたわ。」
「尚美ちゃん、ごめんね。なんかいろいろあって、留守ばかりしてたんだ」
「ううん、最近の隆一さんは画家として、活躍しているのが嬉しいの」
「今夜も、ゆっくりして行けるんだろう」
「それが、きっと今夜は父が、私を迎えに来るの。だから、暗くなるまでここに居させて」
「そうか残念だな、じゃあ描きかけの絵を仕上げようか」
「ここに座っていたらいいの」
「そう、そこでじっとしてね」
尚美の絵を仕上げようと、彼女を見つめていると、いつもと違い、どこかさびしそうな不安そうな感じだった。絵を描き上げて、二人で批評しあった。彼女には話さなかったが、今の尚美は前にも増して、大人の女性としての美しさがあった。それは決して18歳の高校生ではなく、25歳ぐらいの女性としての優雅さがあった。
「もうそろそろ、家に帰るわ。勝手に学校を休んだ私を、父が迎えに来るころだから」
「学校で、何かあったのかい?」
「実は来週はじめに、卒業記念の耐寒登山があるの。それに参加するのがイヤで、隆一さんに会いに来たの」
「それって、絶対参加の行事なのかい?」
「そうでもないんだけど、お父さんが参加しろと言っているの」
「それなら、無理に参加しなくてもいいのに、お父さんが許してくれないのか」
「ええそうなの、男がそれぐらいのことができなくて、家の会社の後が継げるかって」
「君は、社長になる定めなんだね」
「私が家を継ぐのじゃなくて、父が再婚した新しいお母さんの子どもに継いでもらいたいの」
「それなら君の考えをお父さんに、僕が伝えようか」
「ありがとう、でもやっぱり自分で話してみる」
「そうか、またいつでも困ったら逃げて来るんだよ。僕は君のことを、ずっと待っているから」
「ありがとう、さよなら。私のこと忘れないでね」
「尚美ちゃん、誰が忘れるもんか」
尚美が帰って行った後、さびしさ、孤独感が強くなってきた。なぜか、彼女を帰すんじゃなかったと後悔していた。
第4章 尚美の真実
次の日、東京の画廊に出かけているところへ、雑誌記者が訪ねて来た。
『尚美のポートレート』のモデルは一体誰なのかと言うことだった。
私は前にも話したように、東京の○○大学付属の高校3年生だと伝えた。
しかし、雑誌記者はそんな生徒はいなかったと言うのだ。
仁科と言う男子生徒が女装していたのだと説明したが、記者は携帯電話で学校に電話して、何かを確かめた後、 僕に話すのだった。
「いい加減なことを言って、モデルを隠さなくても良いじゃありませんか」というばかりであった。
画廊から、その学校は近くだった。
尚美の通っていた高校で事情を話して、仁科尚文と言う生徒を捜していると伝えた。
すると応対していた教頭が、驚いたような顔で話し始めた。
「仁科君は確かにうちの生徒でした。でもそれは10年前のことです。さらに悲しいことに、耐寒登山に参加して、なだれにあって遭難されたのです」
「どんな生徒さんだったんですか。」
「実は私が教頭になる前に、担任していたのです」
「他所では何も言いません、約束します」
「おとなしい、優しい子でしたが、クラスの中では目立たないほうでしたね」
「 お母さんが亡くなり、お父さんと後妻さんと暮らしていましたが、時々、松本のお母さんのお墓参りに行かれていたようです。」
「他には、何か事情でもあったのでしょうか、お父さんとの間で」
「ただ、お話してよいか・・・。実は、尚文君がお母さんの服を着て女装することがあり、お父さんは、何度かやめさせようと努力されたようです。」
「耐寒登山も男の子らしくさせたいと、本人を説得して参加させたのです。それがあんなことになってしまった。遭難にあったのは、皆からほんの少し離れたところでした。」
「それは、いつのことですか?」
「ちょうど、明日で10年です」
尚美に会えるかもしれない、そう感じた私は車を走らせた。その山は一度行ったことがある、地元で消防団をしている民宿のおやじに、なんとか十年前の遭難場所に案内してくれと頼んだ。
民宿のおやじは、スノーモービルで明日の朝、山に連れて行ってくれると、快く引き受けてくれた。

翌朝は、青空が澄みわたるような快晴でした。
「すみません、今日は面倒をお掛けします。よろしく」
「お客さんは、ご親戚の人かね。あの時も朝は晴れてたんだ」
「それでどうして、なだれが起きたんですか」
「あの日、急に雷がなったんだ、その振動で表面の雪が崩れたんだね」
民宿のおやじがスノーモービルで、20分ほど走ったところだった。私は礼を言って、帰りはゆっくり一人で降りるからと別れた。抜けるような青空だった、ゆっくりゆっくりと、民宿のおやじが指差した現場に歩いて行った。
しばらくすると急に風がふきはじめた、空の一点が黒くなり雪雲がせまってきた。雪が舞い上がり顔にかかった。
ふと前を見ると、ローズピンクのドレスを着た尚美が見えた。彼女は、僕のことに気がついたようだった。

そのときすぐ近くで雷鳴がした。ゴーゴーというような鈍い音がした、最初は、霧のように雪面から湧き上がり、雪崩が雲のように斜面を下ってきた。すぐに私たちに襲いかかるように向かってきた。
少し離れたところで、来ないでと言うように彼女は手を振っている。僕は斜面を駆け上がり、彼女の手を掴んだ。その瞬間、二人は真っ白い雪にのみ込まれてしまった。
地面に倒れた尚美に近寄り、抱き寄せた、暖かい尚美の手を握りしめた。その瞬間、二人は、真っ白い雪に閉じ込められていた。
雪崩のなかに、僕たちはいた。
「尚美、だいじょうぶかい?」
「隆一さん、少し頬から血が」
「大丈夫、かすり傷だよ。尚美、会いたかったよ」
「でもよかった、君を迎えに来たんだ」
「隆一さん、もう私は帰れないのよ」
「何を言ってるんだ」
「あなただけでも、助かってほしいの」
「二人で頑張るんだ、僕たちの幸せのためにも」
「あなた、私は今のままでも幸せよ。あなたに会えて本当に良かった」
「尚美,愛してるよ」
その時ふたたび、ゴォーという音がして、持ち上げることができないほどの雪に覆われてしまった。 少しだけ、身体を動かす余裕があった。
雪に閉じ込められた空洞には、少し余裕があり、何とか尚美の身体に僕のコートを着せて、彼女を抱きしめた。まだ私達は寒くはなかった、私達はお互いに抱擁し、少しは暖かくなった。お互いの身体を寄せ合って、そして私は尚美にくちづけをした。
「尚美のために、ごめんなさい」
「尚美、君に会いたかったんだ」
「隆一さん、今こんなに近くで、あなたを感じているわ。」
「尚美、素敵だ、君と抱き合っていると、とっても暖かいよ。」
昨夜はよく眠れなかったせいか、眠気が襲ってきた、少し熱い。
「隆一さん、寝ちゃダメよ、あなただけでも助かってほしいの」
「なんかとっても眠い、なおみ」
「隆一さん、寝ないでね、あなた」
彼女の声が遠くなりかけ、気を失ってしまった。
サイレンの音を聞いたような気がした。
「坂崎さん、気がつかれましたか」
目がさめたら病院のベッドの上だった。
「どこか痛むところはありませんか」
「ああ、いいえ別に」
僕の腕は、脈を測る白衣の看護師に握られていた。
「あのー、僕のほかに、もう一人も無事でしたか?」
「いいえ、遭難されたのはあなた一人だったのですよ」
看護師の話しでは、雷の音がしたので民宿のおやじが心配して、また山に上がってみたら雪崩れが起きていた。それですぐに救助されたので命が助かったのだろうと言われた。
救助されたとき、幸運なことに、自然にできた洞穴のような部分にはまりこんだので、呼吸もできた。それが幸運だったのだろうと言われた。
雪崩れによる遭難者の多くは、窒息によるものが多いという話だった。

私が頭を掻くと、一本の繊維が落ちてきた。ローズピンクのきれいな色だった。
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コメント
コメント一覧 (2)
愛し合う男女の物語を書くつもりが、いつしか女装する少年と画家の話になりました。
ちょっとした優しさ、思いやりが、苦しいときには、それで救われることがあります。
売れない画家が、本来、描きたかった人物画で成功するきっかけを掴む。それは、10年前にちょっとした思いやりが、鶴の恩返しのように、彼女
ストリー展開がとても素晴らしいです 感動しました