ひな祭り

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 今年も赤い毛せんを敷いて、金の屏風の前にお雛様を飾っています。

 幼かった頃、ひな祭りをお祝いする姉や女の子たちが、うらやましくて、泣いてしまったことがありました。

 母亡きあと、後妻に来た叔母は、私が養子に出されていたのを知っていたのです。養子に行った先で、無事に育ちますようにと、私が女の子のように育てられていたことも知っていたのです。

 姉や姉の友達が、お小遣いをもらって出かけてしまったあとで、赤い着物を着せてもらい、官女のように白粉と口紅を叔母につけてもらったのです。
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 化粧をしてくれた、その叔母もいない今は、自分で口紅を塗ります。桃の節句なのですが、叔母に塗ってもらったような、真っ赤な口紅です。

今夜は、ひな祭り、お客様がいます。
彼女は、バツイチ、離婚経験者です。

 明るく美人で、スタイルもよく、宝塚音楽学校を目指していたこともありました。そんな彼女が、アルバイト先で知り合った男性と結婚したのです。大手の建設会社に勤務する、優秀な男性だったのです。

 後は、彼女の実家の財産を次々処分して、事業を営んだのですが、一時期はうまくいったようですが、事業に失敗、彼は行方不明でした。彼女を残し、自己破産した彼は別の女性と暮らしていたのです。

 彼女と結婚する前から、付き合っていた女性でした。そのことを知った彼女は、財産が目当てだった彼と別れ、離婚しました。
 残った自宅とマンション、空き地を駐車場にして、音楽の講師をしながら、彼女は暮らしていくことを決心しました。

 私にとっては、それまでにもかかわりのあった彼女が、身近な相談相手でした。私が女装することを知っている数少ない身内、彼女は、従姉なのです。
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 離婚後も、彼女のもとを何度か尋ねました。私のよき理解者である、姉のような彼女は、いつしか、女装した私を妹のようにかわいがってくれました。

 “結婚歴がある彼女”だから当然、男に抱かれて女としての悦びを知っているはず、でも、それだけではなかったのです。妹のようにというか、私が彼女の家に泊まっている時、彼女は私を男としてではなく、同じ女性のように、愛してくれたのです。


 初めて、そんなことがあったのは、それは、女の子のお祭り、”ひな祭りの夜”でした。離婚した彼女の家で着物を着て、女の子になった私とひな祭りを楽しんだ後、お布団を敷いて、夜の女の子の、桃の節句、だけでなく、セックス・・・それも、女性同士のセックスを楽しんだのです。
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 はじめは、従姉にリードされて、途中から私がリードしていました。それでも、二人だけの約束がありました。

 彼女の中に硬い肉棒を挿入しない、彼女の中で逝かないこと、彼女の許しがあれば、自分でオナニーしてもいいのです。ご褒美として、時には彼女の手で逝かされたのです。

 彼女の一番敏感な部分、そこに触れるのは彼女の許しがあってから、でも、彼女は、途中から何度でも、お口や舌で愛撫されて、達するのが好みでした。


 今年は、我が家で、お雛様をお迎えする準備をしています。金屏風の前に並んでいるお雛様のように、二人きりで、お布団を並べて、あるいはベッドの上で、・・・

 ひな祭りの夜を、灯りをつけたまま、楽しむのです。膝までのストッキングは穿いたままで、お互いにブラを脱がせあい、ショーツだけ、足を絡ませあって、楽しむのです。
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 ショーツは、私の恥ずかしい物を隠すために身につけさせられて、その夜の気分に合わせて、腰巻き姿の和装であったり、悩ましいランジェリーで、楽しむこともあります。

「アアッ、そんな、そんなことしちゃ」
「そんなこと、して欲しいんでしょ」
「ダメッ、お姉様、もうダメッ」
「いいのよ、感じてるの、いいお顔よ」
「アアッ,やめないで」

 おひな様を、早々に片付けるお家もありますが、お嫁に行かない私たち二人、毎年、3月3日だけでなく、3月4日も、おひな様はかざったままです。

 おひな様の前で、楽しむ二日間、私達は互いの感じる部分を刺激し合って、最後には秘部を舐め合って、のぼりつめて達するまで、それはつづくのです。

「アアッ、いじわる、そのまま、そうそれがいいの」
「もう、いくつもり、まだ,逝かせないわ」
「お願い、逝かせて、ああっ、すごくいい」
「アソコが、ほら、食いつきそうだわ」

「アアッ,これ以上感じたら、死んじゃう」
「いいのよ、感じてるの、ひと思いに逝かせてあげる」
「ダメッ、お姉様、もうダメッ」

 白酒をいただいて、昼も夜もめくるめくような官能の喜びを求めて、もちろん、お仕事はお休みして、秘め事を楽しんでいます。

桃の節句、ひなまつりの夜は女の子になって、腿(もも)のセックス



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