【3】女装塾(幻のサマースクール) これは創作のお話です。

女装塾(幻のサマースクール) 目次 赤い文字をクリックすると読めます
【1】基本は、身だしなみと涙の特訓
【2】女になるための技術講習 
【3】お店での外部実習・あとがき



【あらすじ】
 女装塾では、実践的な講習が実施され、フォトスタジオで実習先に配布する写真撮影が済んだ。バー、ラウンジ、会員制クラブ等に「お見合い写真」が配布されると、すぐに面接希望の連絡が入るようになった。この実習が終わると、女装塾もいよいよ終わりを迎える日も近い。


《お店での外部実習》

 一週間だけの特別講習が修了して、その翌々週から始まる外部実習に出向く前に、自己PRを書くように言われ、女装塾の講師からいろいろ説明を受けたのです。

「あなたの特徴をわかりやすい言葉で書くのよ、それが自己PR」
”フェラの好きな女装子です、生でおしゃぶりしちゃいます”のように、わかりやすく書くのよ。
『~~の好きな〇〇です、~~のようなこと何でもしちゃいます』とかね。

『~~の部分を~~されるのに弱いんです』という書き出しよりはね、少しオーバーに書いて。
『おっぱいが感じやすいの、乳首を強く吸われると逝きそうになるんです』とか。


それから、『一番感じるところは、〇〇』の場合、一番感じるところは”お○ん○ん”にしないでね。そこは三番目ぐらいにしてね。 最後は締めくくりとして、『あなたの~~にしてください』のようなことでいいから、考えて書いてね。」

「スリーサイズや源氏名(お店での女装名)とか、出身地や年齢はお店(実習先)の人に相談して、適当に決めてもらうの。
本当のことでなくてもいいから、21歳、女装歴3年、B88、W64、H94とか、〇〇女子高卒、〇〇専門学校卒なんかでいいの」

bedstadio5
私が書いたものは、添削の結果、書き換えられた。

『ゆり、B88、W64,H90,Dカップ、女子大卒、OL歴3年、ちょっと年増ですが、乳首が感じやすく、全身が性感帯、好みの体位は騎上位、正上位、アナルOK,ザーメン大好き』と書き換えられた。

「女子大卒なんて、すぐ嘘と分かるわ」と私は抗議したが。
「いいの、女子大卒なんて、どうせ信じる人はいないわ」

講師は、私の言葉をさえぎった。
「貴女は女装子で大卒なんだから、女子大卒でいいのよ」
「私は、男として働いてたから、”OL”にも無理があるわ」
「男はね、”女子大卒”、”OL”という言葉がすきなのよ」

 全員が自己紹介を書き終わり、修正が済んだところで、写真スタジオに出掛けて、写真を撮ることになった。
サマースクールのスタッフの運転する車で、大阪市内のスタジオに着くと、一人3パターンの衣装で撮影することが伝えられた。

 衣装を着替えている間に、カメラマンが『自己紹介』を見てそれぞれの特徴に合わせた構図を考えていた。撮影助手はカメラマンの指示に従って背景や照明、小道具を準備していた。

 撮影が始まるとシャッター音が次々と響き、カメラマンがモデルというか、被写体になっている女装子に声をかけるのです。

11Jw1S
『その笑顔いいよ、こっち向いて』

『その表情がかわいいよ、きれいだ』
『とてもいい具合に撮れているよ、すばらしい、』

ポーズや表情に注文を付けたり、ほめことばをかけてはシャッターを切る。
始めは緊張していた女装子も、しだいに表情が穏やかになり、微笑んだり、カメラマンの指示で胸を大きくはだけたり、衣装を脱いだりしながら、女として撮影される喜びに浸っていた。

 一人のワンシーンの撮影が終わると、次の衣装に着替える間に次の女装子が呼ばれて撮影に入った。背景やセットを変えてすべての撮影が終わるころには、3時間ほどが過ぎていた。

《セックスは体位選びから》

 帰りの車の中で、講師からお店で働くときのコツ、アドバイスが話された。
「初めてのお客と楽しむ場合に、アナルセックスにすすめられる体位は3つぐらいだから、覚えておいてね」

「お相手が、女装子相手が初めてだったりすると、痛くなるような動き方をされないように、女装子が調節しながら動きやすい騎乗位がおすすめ。」

「お相手を仰向けに寝かせて、あなたのお口でフェラしてあげるの。堅くなっている方が、入れやすいから。勃起しているものに手を添えながら、ゆっくり腰を下げながらあてがうと入るから」


「中に受け入れて、座る姿勢の時に痛かったら腰を浮かせて、少し引き抜いて、大丈夫だと思ったらまた自分で腰を下げて。」
「焦らないで、ゆっくりと時間をかけて男性のものを根本まで入れるといいわ」

1s-Backtai2-1
「顔や、体形があなたの好みじゃないとき、女装子と遊びなれている、ただやりたいだけの人とスルときは、相手の顔をみないですむ後背位、まあワンワンスタイルがおすすめ」

「ベッドに膝をつき、前に手を伸ばして、よつんばいになって、後ろから挿入しやすいように、お尻の高さや足の位置を、二人で調整しようね」

「あまり強引に挿入しようとしたら、痛いときは 『痛い』。止めて欲しいときは 『止めて』。もう入れられても大丈夫だと思ったときは 『入れて!』 ってはっきり伝えようね」

「もし、素敵なお相手でお相手の顔を見ながらしたいとき、女装子との経験が多くて、安心して身を任せられる人とエッチするときは、二人とも顔を見ながらできる正常位でヤっても良いからね。」

「お相手が、正上位で最後まで行く場合には、相手が突き入れやすいように、お尻の位置を高くするといい、女装子の負担を減らすためには、腰の下に枕をあてがうといいかもね。」

7syo5u2
「男の人って、中で逝くだけでなく、顔射も好きだから、相手が好むように逝かしてしてあげてね」

「セックスに慣れてきたら、仕事だから、あなたが逝かなくても、声だけ逝ったふりをして、喘いであげるのよ」
「抱かれるのもサービスだと割り切らないと、身体が持たないわよ」

「でも、好きなお相手が出来て“、この人と気持ちよくなりたい”とか、“仕事抜きでセックスを楽しみたい”とか思うようになったら、前立腺を探そうね。

 入り口から6~10cmぐらい奥のお腹の方、ちょっと盛り上がっていて、指を押しつけると気持ちよくなるポイントを探してね。」
「前立腺が感じる人は、そこに男性器があたるように腰の角度を調節すると、すごく気持ち良いのよ。男性器が上向きに反っているなら正常位で、下向きに反っているのはバックで入れて貰うと前立腺にあたりやすいから。

 私は、前立腺を突かれるのも、アナルを刺激されるのも、好きだけど、人によって気持ちよさは違うから自分で試してみてね。」

「最後に、セックスは『セイフティー(安全)』が大切。コンドームをつけて、フェラもセックスも注意しながらすること」
「海外の人には、特に最初から『コンドームをつけて』とはっきり言っておくこと。」

「それと、太すぎるアレ、無理に挿入されると、切れて出血するの。なかなか治らないからね。」

「あなたの好きな人と結ばれて、コンドームを使わずに中出しをされたときは、シャワーかトイレに行って精液を出しておくこと」

「精液を入れっぱなしにしてると、お腹を壊す人、中出しをされたままにしていると『ガスが出た時』、一緒に噴き出してシーツを汚したり、セックスの後すぐに外出していると、垂れてきてスカートを汚すこともあるのよ。」

「まあ、女装していても、女性用トイレは使用できないから困るの。いくら好きな相手の種でも、出しておく方がいいのよ。」

 スタッフの運転する車内で、講師の話が終わる頃、外部実習の説明があった。
「写真ができあがると、実習先となる、バー、ラウンジ、会員制クラブ等に『お見合い写真』が配布されるのよ」
「早ければ、水曜日ぐらいには配属先がほぼ決まるから、木曜日の午後に発表します」


《女装子のOJT (On the Job trainning )》

 数日後、写真は出来上がり、女装子の実習先となるお店に配布された。
バー、ラウンジ、会員制クラブ等に「お見合い写真」が配布されると、すぐに面接希望の連絡が入るようになった。

 基本はカウンターだけのサービスの店だったが、ステージでショーが催される店や、中には「女装子が客を取る」それも、一晩に2,3人お相手するような店も含まれていた。

 スクールのリーダーに連れられて、面接、お見合いに行くと、実習とはいえ、お客とのサービスの話になった。 ショーパブのようなお店では、新人としてお店の清掃や準備から手伝いに入る様に言われた。


 その後で、ショーの出し物に参加するためのレッスンがあり、少しの休憩の後、団体客の接待準備、深夜2時までの勤務が求められた。

  ショーパブでは、本当に厳しいレッスンでした。
特にショーの出し物を入れ替えるときは、振付師の指示が厳しく、リハーサルが終わるとぐったりしてしまうほどでした。
11時頃が一番眠くなり、何度もママに叱られたのです。 でも、お店が終わる頃には、「お疲れだったね、タクシーで帰りなさい」とチケットを渡してもらえたのです。

 お店に勤めているおかま塾の先輩から、次の実習先の悪い噂を聞かされました。
「アソコのお店は、(実習)やめた方がいい」、
「この店で働くか、元の仕事に戻ったら」

 次に行った女装客の来る店では、開店準備だけでなく、メイク室の化粧品の補充、女装衣装のクリーニング、ウイッグの手入れなどの手伝いを求められた。

 開店後には、カウンターに入り手伝うだけでなく、カラオケ、マイクの設定や接客もするように言われた。 特に、お店が90分、2時間を個室で過ごす男女の営みをメニュー化している場合には、実習中でもそれを受け入れるしかなかった。

「お酒を飲んで、女装子とお話がしたいだけのお客なんて、少ないし、いない」
「カウンターやラウンジだけのサービスだけでは、暮らしていけるほど稼げないから」

 そう言われても、やはり不安になったり、迷ってしまう女装子もいた。

私は、週4日の実習としてニューハーフのショーを中心にしたパブに2週間、その後の2週間は、飲食とカラオケが主体のお店に行くことになりました。
awazahotelGS
ただし、実習後半のお店は男女の営みをメニュー化している店だったのです。

「見かけだけ化粧がうまくなっても、ろくに男性経験もないなんて」
「男が満足できる女に成らなきゃ、いつまでたっても女装子でしかないよ」
「女として生きていくなら、男に抱かれなきゃ、ほんとの女になれないよ」

 必ずと言うほど、お店では、ママからそう言い聞かされることが、多かったのです。

 そのお店のママに、反発する気持ちもあって、店内外でのデートに応じる事もありました。当然のことですが、ランジェリーナイトや、セーラー服ムーンの日には、男性客とホテルでセックスすることもあったのです。
1KK3

 実習後に、私がどうなっていくのか、 女装して暮らしていくか、性風俗の店で働くか、それとも通常の仕事に復帰するか、その時はまだ、はっきりとはしていませんでした。

 4週間が過ぎて、ショーパブでの実習も、女装スナックの実習も終わりました。おかま塾の先輩の言うような、男女の営みのような接客を何度も求められることもなく、実習は終わりました。

 8月末に修了式があり、C組のメンバーはほとんど勤め先も決まりました。私は、自分のマンションに戻ることにして、久しぶりに部屋の掃除をしました。
でも、私は、どうするか決めていなかったのです。

 夕方、あべのハルカスでの買い物が終わり、天芝と呼ばれる公園を歩きました。 久しぶりに、通天閣に上ってみたのです。

biliken2

もう、夕方なので、昼間のような観光客も少なく、静かでした。
5階の展望台にある、神・ビリケンの像の前に来ました。

周囲には、誰もいません。 その時、なぜか急に眠くなり、ベンチにすわりました。 そして、どれだけ時間が経ったのか・・・

「お客さん、起きてください、もう閉館時間ですから」
「いいえ、あのー、今何時ですか?」
「もうすぐ、9時です」

私は、スマホで時間を確かめてみた。

スマホが8時55分を表示していた、それも5月16日 本当なら、8月のはず、そう思ったのです。
「あっ、すみません、今日は何日ですか」
「5月16日ですけど」 その返事を聞いて、驚きました。
その時、私はワンピースに白いジャケットを着ていましたが、夜風を寒く感じたのです。

「お身体の具合でも、悪いのですか?」
「いえ、大丈夫です」

 通天閣でおばあさんに出会ったのが、5月16日の夕方。 そして、今は5月16日の午後9時になろうとしていた。
わずか、2時間あまりの間に、3ヶ月の夢を見ていたことになる。

 通天閣のエレベーターに乗り、下に降りた。 そこから、動物園前を通り、女装塾に向かった 。

 途中で、あのおばあさんの家があった。 しかし、家の前には、「売り家」という張り紙があった。 近くの酒店の人に、ここに住んでいた、おばあさんのことを聞いた。

「おばあさん?ここに住んでいたのは男だよ、亡くなったけどね」
「そうですか」
「でも、女の格好をしてたので、ここら辺では有名だったよ」


 女装塾に着いた時には、もう、就寝時間が過ぎていた。鍵を預けて出かけた、マンションの事務所も暗かった。
01AA9

事務所入り口のベルを押したら、警備員が出てきた。

「何か、ご用ですか?」
「時間外になって、すみません。208号の鍵をお願いします」


警備員は、不思議そうな顔をしていた。
「何かのお間違いでは、2階には206号までしかないのですが」
「ここに、6月から住んでいたのですが」
「それは、2年前の話しですか、昨年、ビルの改修で変ったのです」

もう、そこには女装塾はなかった。


          《終わり》    

《あとがき》

 女装塾(幻のサマースウール)をお読みいただきありがとうございます。
女装者が嫌いな方、男が女装するなんて異常だと思われた方には、読みづらいお話しでした。この「女装塾」を私は、阪神淡路大震災の後に知ったのです。

OIP

 地震の揺れで倒壊した建物もありましたが、見た目はそれほどの被害がなくても、危険と認定された家屋があったのです。そういう建物の中には、書店やその倉庫もありました。

 地震後、3ヶ月ほどして建物を解体する、倉庫にあるバックナンバーやストックされた資料を運び出すボランティアに参加しました。作業は進み、古い資料、その多くは雑誌でしたが、段ボールに入っていた箱が傷み、バラバラと中身が散乱したのです。

「休憩にしよう」、リーダーから声がかかりました。私は散乱した一冊の雑誌を手に取りました。
たしか、昭和45年3月に販売された週刊ポスト、とても古い雑誌でした。なにげなく、開いて記事を読み始めました、そこに「”なにわ”のおかま塾」という記事が4ページぐらいだったと思います。

 高校生だった私は、女装に関心があり、その記事を読み始めたのです。

《雑誌の記事から》

 大阪市西成区の「おかま塾」、そこを仕切っている女将(実は男性)へのインタビューと、現地での取材が紹介されていました。

 おかま塾に、入門すると、きびしい修行、早朝から夜までの生活が始まるのです。衝撃的だったのは、男性の性器を模した道具、それも木製を、口に含み舐める練習。今で言う、フェラチオの練習です、かなりフェラチオの練習は、叱咤激励されるのです。

 フェラチオの練習が終わると、女として暮すための着付け、化粧、裁縫、料理などと、身のこなし、床入りのマナー、そういうものを身につけると、最後は「銭湯」で女として入浴してくること。それに対しての見極めが終わると、おかま塾を卒業できるのです。

 まだ、ニューハーフと言う言葉も、女装雑誌もない時代、昭和の大阪の女装塾、そこを巣立って東京や大阪で女として働く、世間では認められない職業、でも就職口はあったのです。

「休憩終わり、作業開始」、その言葉で、破れた箱をガムテープで補修、その週刊ポストも箱に入れて運び出したのです。ですから、私の手元にもありません。幻の雑誌です。



「女装塾(幻のサマースクール)」は、その時の記憶を元にして、最近の情報をアレンジしながら描いたものです。
e6248f2a
今年1月に富山、石川、能登地方で地震災害があり、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。
   令和6年7月5日 阪倉ゆり


ご参考までに、三橋順子先生について

三橋順子:性社会・文化史研究者
 女装家の三橋順子先生の資料の中にも、大阪の女装文化、男娼、おかま塾の事が記録、紹介されています。
続続、たそがれ日記:大阪の女装文化



目次 女装塾(幻のサマースクール)
 赤い文字をクリックすると読めます