【目次】《性転換妻》私が”女”になるとき
【1】《女装の課外授業》《ドラッグストアでお買い物》
【2】《会社の互礼会のあとで》《浮気は愛の絆》
《女装の課外授業》
それは、私が中学の時でした。
父母と姉、そして私の4人家族だったのです。私は末っ子の長男でした。父は建設会社を経営していて、母が経理を担当していました。
私は、父から一級建築士になるようにと言われ、週に4日、進学塾に通っていました。中学3年の時、9歳年上の姉は、学生時代に交際していた相手と結婚したのです。
成績が下がり始めて、家庭教師が来ることになりました。有名大学の工学部の3回生、彼が数学と理科を教えてくれたのです。
成績が下がったのは、姉の結婚後、ふとしたことからオナニーを知ったのです。ネットで、セーラー服の女装子が、オナニーする動画を観てしまったのです。
白いソックスを穿いた女子高生が、スカートをめくりショーツをさげて、激しく手を動かすのです。その股間には、女性にはないはずのものが、あったのです。
その動画に刺激を受け、両親の居ない時、姉の部屋で、高校時代のセーラー服を探して、自分でも着てみたのです。そして、パソコンの動画を見ながら、私も自分のものを刺激しました。
動画の女子高生?よりも、わたしのは小さかったのですが、ブラジャーをして、どきどきする胸の鼓動を感じながら、パソコンの動画の女装子がしているように、スカートの中で硬くなり、のけぞるような快感、それは初めての体験でした。
その日から、塾のない日、母が帰宅する6時まで、毎日のようにしていました。本当は、塾が終わった日も、夜遅く、自分の部屋でブラジャー、ショーツに、セーラー服を着ていたのです。
家庭教師が来るようになり、彼が数学を教えてくれることで成績は良くなったのです。無事に、目標の高校に入学もして、私は高校生になりました。
高校では、テニス部に入ったのですが、二学期の中間テストの成績が悪かったのです。そこで、ふたたび家庭教師に来てもらうことになったのです。
私は、テニス部をやめて、帰宅部になったのです。ある日、家庭教師の先生が「来れなくなった」と母からの電話がありました。
まだ、4時すぎでした。母が帰宅する6時までには、時間がありました。その時、久しぶりに姉のセーラー服を着たのです。スカートを穿く頃には、勃起すると太い親指ほどになる、私のものが火照っているようでした。
もう、我慢できずに、ひとりでオナニー、ペニクリをしごいていたのです。自分の部屋でなく一階のリビングのソファーで、女装子のオナニー動画を見ながらセーラー服のまま、激しく手を動かして絶頂を迎えそうになった。
そのとき、そばに家庭教師の彼がいることに気づきました。あわてて、インナーイヤホンを外して、膝までずらしていたショーツを穿きました。
「何度か、チャイムを鳴らしたんだけど、気がつかなかったんだね」
母が聞き間違えたのか、「来れない」のではなく、「時間通りに来れなくなった」という連絡だったのです。家庭教師の彼には、母が鍵を渡していたのです。
その彼が、私に近づき優しく言うのです。
「いいことをしよう、もっと感じさせてあげるよ、すっきりした方が勉強に集中できるよ」
彼に抱きかかえられるようにして、姉の使っていた部屋に入りました。その日は、彼に何度も刺激され、指の刺激だけでなく、口に含まれてしまいました。
「アアッ、先生、だめっ、いっちゃう」
「逝きたいんだろ、いけばいい、ほら」
生暖かい彼の口の中で、刺激され、あっという間にのぼりつめたのです。もちろん、彼のものにも、言われるままに、口で奉仕させられたのです。
会うたびに、それはエスカレートして、私は彼に抱かれるために購入したランジェリーやガーターストッキングを身につけて、ストレートの長いウイッグにお化粧までして、彼を待つようになりました。当然のこととして、彼に後ろの処女を捧げました。
でも、母が、私と彼との秘密の関係に気づく時がきたのです。
ある日、母が早く帰宅すると、姉の部屋から苦しそうな声が聞こえていたのです。不安に思った母が、私たち二人の抱き合っている姿を見てしまったのです。
学生服で勉強している姿ではなく、悩ましい下着を身につけて、ウイッグで女装して、ピンクのカバーの掛かった姉のベッドで、私は彼を受け入れ、女になって抱かれていたのです。
母は激怒して、家庭教師を辞めさせてしまったのです。その時、父は東北地方に出張で出かけていたので、母はあとで父から叱ってもらうつもりでした。しかし、父が出張先で地震に遭い津波で亡くなったと連絡があったのは、その数日後でした。
大学に入ってからも自宅通学でした、姉のセーラー服も、隠し持っていた女性の下着も、すべて処分されて、女装しにくい生活でした。なんとか卒業して、一級建築士の資格も取得出来たのです。
母が社長となり、建設会社を姉夫婦が手伝っていました。私は、親族の多い会社でなく、大手のハウスメーカーの会社に就職したのです。東北の震災復興の関係で、はじめは仙台の支店勤務でした。
そして、ひとりで暮すうちに、身体の異常に気づいたのです。
声変わりをしないこと、喉仏がないこと、胸が膨らみブラジャーが必要なぐらいになり、受診したのです。
その結果は、病気ではない。陰嚢が小さくて、無精子症、女性ホルモンの値が高く、MRI、超音波検査で卵巣がある事が分かり、手術をすれば女性として生活することが出来るかもしれない、とのことだった。
母に結果を伝えたが、無精子症で子どもが出来ないことを伝えたが、女性化することは反対された。
その頃、私は「ニューハーフの掲示板」で知り合った男性と交際していた。彼からの何度ものメール、電話でのやりとりの末に、男女の関係になったのです。しばらくは通い婚状態でしたが、いつしか週末同棲を始めていた。
彼も賛成してくれて、手術して1ヶ月後には、普通に暮らせるようになり、戸籍を変え、氏名も”啓子”になったのです。結婚式を挙げて、彼の家で私は妻として暮し始めました。
母は、手術にも、結婚にも反対したままでした。
《ドラッグストアでお買い物》
朝は雨上がりで寒かったので、A面(女装)でのお出かけは厚着をしようか、迷うほどでした。でも、昼前には暖かくて、スーパーの買い出しの帰りは、車の窓を開けていました。
帰宅して、お洋服を脱ぐと、胸の谷間に汗をかいていて、すべて脱いで入浴しました。そのあとは涼しい室内で、下着だけの姿でローズヒップのお茶を飲みました。
そんな時は、のんびりと翌日からの週末の予定を確認します。今日、買い物した以外に、買い忘れているものがないか、チェックします。その時、あるものがないことに気づきました。
簡単なメイクをして、お財布と小さなバッグだけを持って出かけました。外に出ても日差しが暖かでした、近所の人にもすれ違いましたが、「こんにちは」と挨拶する程度、誰も私が元男だなんて、思いもしないようです。
連休明けの引っ越しなのか、象さんマークのトラックが3台も止まっていたのです。少し邪魔でした、というのも歩道に荷物が置かれていたからです。作業の方を避けながら、作業の邪魔をしないように通り抜けます。
ドラッグストアに着くと、2時過ぎなのに買い物の人でいっぱい。もうすぐ、子ども達が学校から帰ってくるからです。駐車スペースは満車状態、車で来なくてよかったと思いました。
私が買いたいものは・・・、
そこには一人男性が、どれにするか迷っているみたい。
その人が品選びをしている間、後ろで待っていました。
どれがいいかしらと、後ろから見ていると、「お先にどうぞ」
そう言われて、お気に入りのものを、一箱だけ手に取りました。
“ラブスイートコレクション”と書かれたものを持って、レジに向かいました。
実は、このO「LVE SWEET」というのは、コンドームなんです。
10個入りで1000円、表面には、チョコレート味のゼリー付き。
彼に被せて、フェラするときにチョコの味が楽しめるのです。
週末は、いつ必要になるかわからないので、コンちゃんを買っておきます。避妊のためでなく、お布団やシーツを汚さないために必要なんです。今日のレジは、若いお兄さんでした。
私はレジに並ぶおばさん、コンちゃんを買うのは、いつも女の私です。夫は買いません、女性が買う物と思っているからです。
こんなおばさんでも、うれしかったのは、レジのお兄さんがちらちらと、私のバストを何度となく、見つめてくれたからです。男性が、女性のバストを見る目線、なんとなくわかるんです。
ドラッグストアでのお買い物、そのあとすぐに役に立ちました。「LVE SWEET」があると、わたしは妊娠しないけど、でもそう思うと悲しい。赤ちゃんが欲しい。
ゴムの中で、行き場を失ってしまう彼の精子たち、産んであげられなくてごめんね。
《つづく》
続きは、 《性転換妻》私が”女”になるとき【2】
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【1】《女装の課外授業》《ドラッグストアでお買い物》
【2】《会社の互礼会のあとで》《浮気は愛の絆》
《女装の課外授業》
それは、私が中学の時でした。
父母と姉、そして私の4人家族だったのです。私は末っ子の長男でした。父は建設会社を経営していて、母が経理を担当していました。
私は、父から一級建築士になるようにと言われ、週に4日、進学塾に通っていました。中学3年の時、9歳年上の姉は、学生時代に交際していた相手と結婚したのです。
成績が下がり始めて、家庭教師が来ることになりました。有名大学の工学部の3回生、彼が数学と理科を教えてくれたのです。
成績が下がったのは、姉の結婚後、ふとしたことからオナニーを知ったのです。ネットで、セーラー服の女装子が、オナニーする動画を観てしまったのです。
白いソックスを穿いた女子高生が、スカートをめくりショーツをさげて、激しく手を動かすのです。その股間には、女性にはないはずのものが、あったのです。
その動画に刺激を受け、両親の居ない時、姉の部屋で、高校時代のセーラー服を探して、自分でも着てみたのです。そして、パソコンの動画を見ながら、私も自分のものを刺激しました。
動画の女子高生?よりも、わたしのは小さかったのですが、ブラジャーをして、どきどきする胸の鼓動を感じながら、パソコンの動画の女装子がしているように、スカートの中で硬くなり、のけぞるような快感、それは初めての体験でした。
その日から、塾のない日、母が帰宅する6時まで、毎日のようにしていました。本当は、塾が終わった日も、夜遅く、自分の部屋でブラジャー、ショーツに、セーラー服を着ていたのです。
家庭教師が来るようになり、彼が数学を教えてくれることで成績は良くなったのです。無事に、目標の高校に入学もして、私は高校生になりました。
高校では、テニス部に入ったのですが、二学期の中間テストの成績が悪かったのです。そこで、ふたたび家庭教師に来てもらうことになったのです。
私は、テニス部をやめて、帰宅部になったのです。ある日、家庭教師の先生が「来れなくなった」と母からの電話がありました。
まだ、4時すぎでした。母が帰宅する6時までには、時間がありました。その時、久しぶりに姉のセーラー服を着たのです。スカートを穿く頃には、勃起すると太い親指ほどになる、私のものが火照っているようでした。
もう、我慢できずに、ひとりでオナニー、ペニクリをしごいていたのです。自分の部屋でなく一階のリビングのソファーで、女装子のオナニー動画を見ながらセーラー服のまま、激しく手を動かして絶頂を迎えそうになった。
そのとき、そばに家庭教師の彼がいることに気づきました。あわてて、インナーイヤホンを外して、膝までずらしていたショーツを穿きました。
「何度か、チャイムを鳴らしたんだけど、気がつかなかったんだね」
母が聞き間違えたのか、「来れない」のではなく、「時間通りに来れなくなった」という連絡だったのです。家庭教師の彼には、母が鍵を渡していたのです。
その彼が、私に近づき優しく言うのです。
「いいことをしよう、もっと感じさせてあげるよ、すっきりした方が勉強に集中できるよ」
彼に抱きかかえられるようにして、姉の使っていた部屋に入りました。その日は、彼に何度も刺激され、指の刺激だけでなく、口に含まれてしまいました。
「アアッ、先生、だめっ、いっちゃう」
「逝きたいんだろ、いけばいい、ほら」
生暖かい彼の口の中で、刺激され、あっという間にのぼりつめたのです。もちろん、彼のものにも、言われるままに、口で奉仕させられたのです。
会うたびに、それはエスカレートして、私は彼に抱かれるために購入したランジェリーやガーターストッキングを身につけて、ストレートの長いウイッグにお化粧までして、彼を待つようになりました。当然のこととして、彼に後ろの処女を捧げました。
でも、母が、私と彼との秘密の関係に気づく時がきたのです。
ある日、母が早く帰宅すると、姉の部屋から苦しそうな声が聞こえていたのです。不安に思った母が、私たち二人の抱き合っている姿を見てしまったのです。
学生服で勉強している姿ではなく、悩ましい下着を身につけて、ウイッグで女装して、ピンクのカバーの掛かった姉のベッドで、私は彼を受け入れ、女になって抱かれていたのです。
母は激怒して、家庭教師を辞めさせてしまったのです。その時、父は東北地方に出張で出かけていたので、母はあとで父から叱ってもらうつもりでした。しかし、父が出張先で地震に遭い津波で亡くなったと連絡があったのは、その数日後でした。
大学に入ってからも自宅通学でした、姉のセーラー服も、隠し持っていた女性の下着も、すべて処分されて、女装しにくい生活でした。なんとか卒業して、一級建築士の資格も取得出来たのです。
母が社長となり、建設会社を姉夫婦が手伝っていました。私は、親族の多い会社でなく、大手のハウスメーカーの会社に就職したのです。東北の震災復興の関係で、はじめは仙台の支店勤務でした。
そして、ひとりで暮すうちに、身体の異常に気づいたのです。
声変わりをしないこと、喉仏がないこと、胸が膨らみブラジャーが必要なぐらいになり、受診したのです。
その結果は、病気ではない。陰嚢が小さくて、無精子症、女性ホルモンの値が高く、MRI、超音波検査で卵巣がある事が分かり、手術をすれば女性として生活することが出来るかもしれない、とのことだった。
母に結果を伝えたが、無精子症で子どもが出来ないことを伝えたが、女性化することは反対された。
その頃、私は「ニューハーフの掲示板」で知り合った男性と交際していた。彼からの何度ものメール、電話でのやりとりの末に、男女の関係になったのです。しばらくは通い婚状態でしたが、いつしか週末同棲を始めていた。
彼も賛成してくれて、手術して1ヶ月後には、普通に暮らせるようになり、戸籍を変え、氏名も”啓子”になったのです。結婚式を挙げて、彼の家で私は妻として暮し始めました。
母は、手術にも、結婚にも反対したままでした。
《ドラッグストアでお買い物》
朝は雨上がりで寒かったので、A面(女装)でのお出かけは厚着をしようか、迷うほどでした。でも、昼前には暖かくて、スーパーの買い出しの帰りは、車の窓を開けていました。
帰宅して、お洋服を脱ぐと、胸の谷間に汗をかいていて、すべて脱いで入浴しました。そのあとは涼しい室内で、下着だけの姿でローズヒップのお茶を飲みました。
そんな時は、のんびりと翌日からの週末の予定を確認します。今日、買い物した以外に、買い忘れているものがないか、チェックします。その時、あるものがないことに気づきました。
簡単なメイクをして、お財布と小さなバッグだけを持って出かけました。外に出ても日差しが暖かでした、近所の人にもすれ違いましたが、「こんにちは」と挨拶する程度、誰も私が元男だなんて、思いもしないようです。
連休明けの引っ越しなのか、象さんマークのトラックが3台も止まっていたのです。少し邪魔でした、というのも歩道に荷物が置かれていたからです。作業の方を避けながら、作業の邪魔をしないように通り抜けます。
ドラッグストアに着くと、2時過ぎなのに買い物の人でいっぱい。もうすぐ、子ども達が学校から帰ってくるからです。駐車スペースは満車状態、車で来なくてよかったと思いました。
私が買いたいものは・・・、
そこには一人男性が、どれにするか迷っているみたい。
その人が品選びをしている間、後ろで待っていました。
どれがいいかしらと、後ろから見ていると、「お先にどうぞ」
そう言われて、お気に入りのものを、一箱だけ手に取りました。
“ラブスイートコレクション”と書かれたものを持って、レジに向かいました。
実は、このO「LVE SWEET」というのは、コンドームなんです。
10個入りで1000円、表面には、チョコレート味のゼリー付き。
彼に被せて、フェラするときにチョコの味が楽しめるのです。
週末は、いつ必要になるかわからないので、コンちゃんを買っておきます。避妊のためでなく、お布団やシーツを汚さないために必要なんです。今日のレジは、若いお兄さんでした。
私はレジに並ぶおばさん、コンちゃんを買うのは、いつも女の私です。夫は買いません、女性が買う物と思っているからです。
こんなおばさんでも、うれしかったのは、レジのお兄さんがちらちらと、私のバストを何度となく、見つめてくれたからです。男性が、女性のバストを見る目線、なんとなくわかるんです。
ドラッグストアでのお買い物、そのあとすぐに役に立ちました。「LVE SWEET」があると、わたしは妊娠しないけど、でもそう思うと悲しい。赤ちゃんが欲しい。
ゴムの中で、行き場を失ってしまう彼の精子たち、産んであげられなくてごめんね。
《つづく》
続きは、 《性転換妻》私が”女”になるとき【2】
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