「声を出すな、騒ぐんじゃない」
そう言って、叔父の手で口を塞がれて、抑えつけられたのです。

誰もいない夏の午後、祖母の家で私は昼寝をしていました。
いつもはいない叔父、母とは10歳以上も年の離れた弟でした。会社の寮に住み込みで、調理師の修行をしているので、2,3ヶ月に一度帰ってくる人でした。
それが、突然帰ってきて、寝ている私に襲いかかってきたのです。
「おっぱいも、ふっくらしてるな、たまらんわ」
「やめて、やめてください」
「ばあさんは留守か? ほんとに、女の子みたいだ」
「おじさん、何もしないで」
「おとなしく、言うとおりにすれば、早く終わるんだよ」
叔父は、私のタンクトップを捲りあげ、脱がせてしまった、胸をさらけ出して吸いついてきた。その後で叔父の手はスカートを脱がせて、露わになった下半身に手を伸ばして、ふとももを撫ではじめた。

「すべすべした肌だ、気持ちいいところも触らせてもらうよ」
「あっ、いやっ、だめ」
「嫌なんて言いながら、一番さわって欲しいくせに」
叔父の手は、パンティーの中にあるものをゆっくりと撫でさするのです。触れられるたびに、なんとも言えない快感が、高まってくるのです。
「ピンクのパンティーなんか、穿いてるんだな」
「ああっ、叔父さん、やめて!」
「女みたいなのに、ここは男なんだな、可愛がってやるよ」
「あっ、いやっ、やめて、やめてください」
「舐めてくださいってか、おとなしくしてりゃあいいんだ」
そう言うと、叔父はパンティーを脱がして、わたしの胯間にある物を舐めて、舌を絡ませて口に含んだのです。あたたかい口の中で、経験したことのない甘美な刺激の連続、その刺激に耐えきれず、白い精液はほとばしり、胸の鼓動は激しくなっていたのです。
「今度は、おれのをしゃぶってもらうよ、丁寧にするんだ」
「いやっ、そんなこと、できないわ」
「いやなら、縄で縛って女装してオナニーしていましたと、村中を歩かせる」
「そんな恥ずかしいこと・・・」
「ここで言うとおりにしてたら、すぐに済むんだよ」
叔父の言いなりに、下半身にある赤黒いものを、両手の中に握りしめて、指でさすりながら、固くなったものを口に含みました。10分か、それ以上、顎がだるくなってしまい、口に含んで舌でなめるだけでなく、扱くように指を使いました。

「ああ、いい、もうすぐだ」
「もう、逝けそう?」
「いく、逝くぞ、口を開いて」
叔父の先端から、どろっとした白濁が、勢いよくわたしの口の中に2,3度噴き出したのです。その時、祖母が帰ってきたのか、玄関の引き戸が開く音がして、「ただいま」という声がしました。
叔父の精液を吐き出すこともできず、ごくりと飲み込みました。初めてのことでした、叔父の精液はつーんと栗の花のような匂いがして、すこし苦みもあったのです。
あわてて服を着ようとしましたが、スカートを履こうとしている私を、祖母は見てしまったのです。その場の雰囲気を感じていたようですが、祖母は何も言わず、「熱いねぇ、家の中にばかり居ないで、図書館にでも行って涼んできたら」と言うだけでした。
私が出かけたあと、祖母は叔父と話していたようです。叔父は、翌日にすぐ会社の寮に帰ったようです。祖母からは「誰にも言うんじゃないよ」と諭されて、その2、3日後、すぐに私も実家に帰ることになりました。
私が祖母宅で過すようになったのは、学校でいじめに遭い、不登校になってからです。中学3年のころから、胸がふくらみ初めて、水泳の授業では、胸を見られるだけでなく、着替えをしていると胸を触られたりしたのです。
高校生になった夏には、Cカップほどになったのです。水泳の授業が始まると、学校を休むようになり、胸を見られるのが恥ずかしくて学校に行けないと母に相談して病院で検査をうけたのです。
結果は、病気ではなく体質によるもので、今は女性ホルモンが分泌される量が多い。手術して胸を切除する方法もあるが、しばらく様子を見ましょうと医師から説明を受けました。
夏はTシャツ一枚だと、乳房が目立ってしまうので、母に買ってもらったスポーツブラをつけていました。祖母は、私のことを理解してくれて、祖母宅では女の子の様に装うことも許してくれたのです。
小さい頃から、学校が休みになると祖母の家に泊りに行きました。中学、高校の時も、祖母宅で夏休みを過ごしていたのです。あの事があってから、叔父とは祖母や家族に分らないように、外で会っていました。
その後、高校を卒業した私は、叔父がお気に入りの城下町で、開業した喫茶と宿泊の小さなお宿で働き始めました。今では髪を伸ばして、化粧して、喫茶は、私がウェィトレスなんです。
朝は、アメリカンスタイルのブレックファースト、夜には地元の和牛のハンバーグステーキなど、ランチメニューも調理のお手伝いをしています。宿泊していたお客様が、チェックアウトされると、部屋の清掃、ベッドメイキングをするのです。

今では立地条件が良かったのか、朝夕も忙しいくらい。お客様には女の子と思われているようです。そして、今は「お前のことは、俺が責任を取る」と言われて、叔父との生活を楽しんでいます。
毎週水曜日がお休みで、宿泊のお客様が居ない日は、叔父とも仲良くしています。

その時は、気分を高めるためにホテルを利用する事もあります。そこでは、叔父だけのメイドになって、自分でも恥ずかしいのですが、叔父の好きなメイド服やセクシーな下着で装っています。もちろん、ベッドの上でご奉仕するのです。
ブライダルインナーを身につけて、花嫁のような姿になることもあります。

法律上は、性転換しても叔父と結婚はできないので身体に負担のかかる手術は受けていません。声が高くて乳房がある私ですが、恥ずかしいのは、期待してペニちゃんが、ショーツに収まらない時があるのです。
お口に含まれて、さらに大きくなってしまっても、最後には、やさしく触れられたペニちゃんから、快感と同時にミルクがほとばしると、おとなしく小さくなるのです。
最近は、叔父のものを受け入れる叔父専用の入り口が、大きく開くようになり、叔父も挿入しやすくなったと喜んでくれています。
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そう言って、叔父の手で口を塞がれて、抑えつけられたのです。

誰もいない夏の午後、祖母の家で私は昼寝をしていました。
いつもはいない叔父、母とは10歳以上も年の離れた弟でした。会社の寮に住み込みで、調理師の修行をしているので、2,3ヶ月に一度帰ってくる人でした。
それが、突然帰ってきて、寝ている私に襲いかかってきたのです。
「おっぱいも、ふっくらしてるな、たまらんわ」
「やめて、やめてください」
「ばあさんは留守か? ほんとに、女の子みたいだ」
「おじさん、何もしないで」
「おとなしく、言うとおりにすれば、早く終わるんだよ」
叔父は、私のタンクトップを捲りあげ、脱がせてしまった、胸をさらけ出して吸いついてきた。その後で叔父の手はスカートを脱がせて、露わになった下半身に手を伸ばして、ふとももを撫ではじめた。

「すべすべした肌だ、気持ちいいところも触らせてもらうよ」
「あっ、いやっ、だめ」
「嫌なんて言いながら、一番さわって欲しいくせに」
叔父の手は、パンティーの中にあるものをゆっくりと撫でさするのです。触れられるたびに、なんとも言えない快感が、高まってくるのです。
「ピンクのパンティーなんか、穿いてるんだな」
「ああっ、叔父さん、やめて!」
「女みたいなのに、ここは男なんだな、可愛がってやるよ」
「あっ、いやっ、やめて、やめてください」
「舐めてくださいってか、おとなしくしてりゃあいいんだ」
そう言うと、叔父はパンティーを脱がして、わたしの胯間にある物を舐めて、舌を絡ませて口に含んだのです。あたたかい口の中で、経験したことのない甘美な刺激の連続、その刺激に耐えきれず、白い精液はほとばしり、胸の鼓動は激しくなっていたのです。
「今度は、おれのをしゃぶってもらうよ、丁寧にするんだ」
「いやっ、そんなこと、できないわ」
「いやなら、縄で縛って女装してオナニーしていましたと、村中を歩かせる」
「そんな恥ずかしいこと・・・」
「ここで言うとおりにしてたら、すぐに済むんだよ」
叔父の言いなりに、下半身にある赤黒いものを、両手の中に握りしめて、指でさすりながら、固くなったものを口に含みました。10分か、それ以上、顎がだるくなってしまい、口に含んで舌でなめるだけでなく、扱くように指を使いました。

「ああ、いい、もうすぐだ」
「もう、逝けそう?」
「いく、逝くぞ、口を開いて」
叔父の先端から、どろっとした白濁が、勢いよくわたしの口の中に2,3度噴き出したのです。その時、祖母が帰ってきたのか、玄関の引き戸が開く音がして、「ただいま」という声がしました。
叔父の精液を吐き出すこともできず、ごくりと飲み込みました。初めてのことでした、叔父の精液はつーんと栗の花のような匂いがして、すこし苦みもあったのです。
あわてて服を着ようとしましたが、スカートを履こうとしている私を、祖母は見てしまったのです。その場の雰囲気を感じていたようですが、祖母は何も言わず、「熱いねぇ、家の中にばかり居ないで、図書館にでも行って涼んできたら」と言うだけでした。
私が出かけたあと、祖母は叔父と話していたようです。叔父は、翌日にすぐ会社の寮に帰ったようです。祖母からは「誰にも言うんじゃないよ」と諭されて、その2、3日後、すぐに私も実家に帰ることになりました。
私が祖母宅で過すようになったのは、学校でいじめに遭い、不登校になってからです。中学3年のころから、胸がふくらみ初めて、水泳の授業では、胸を見られるだけでなく、着替えをしていると胸を触られたりしたのです。
高校生になった夏には、Cカップほどになったのです。水泳の授業が始まると、学校を休むようになり、胸を見られるのが恥ずかしくて学校に行けないと母に相談して病院で検査をうけたのです。
結果は、病気ではなく体質によるもので、今は女性ホルモンが分泌される量が多い。手術して胸を切除する方法もあるが、しばらく様子を見ましょうと医師から説明を受けました。
夏はTシャツ一枚だと、乳房が目立ってしまうので、母に買ってもらったスポーツブラをつけていました。祖母は、私のことを理解してくれて、祖母宅では女の子の様に装うことも許してくれたのです。
小さい頃から、学校が休みになると祖母の家に泊りに行きました。中学、高校の時も、祖母宅で夏休みを過ごしていたのです。あの事があってから、叔父とは祖母や家族に分らないように、外で会っていました。
その後、高校を卒業した私は、叔父がお気に入りの城下町で、開業した喫茶と宿泊の小さなお宿で働き始めました。今では髪を伸ばして、化粧して、喫茶は、私がウェィトレスなんです。
朝は、アメリカンスタイルのブレックファースト、夜には地元の和牛のハンバーグステーキなど、ランチメニューも調理のお手伝いをしています。宿泊していたお客様が、チェックアウトされると、部屋の清掃、ベッドメイキングをするのです。

今では立地条件が良かったのか、朝夕も忙しいくらい。お客様には女の子と思われているようです。そして、今は「お前のことは、俺が責任を取る」と言われて、叔父との生活を楽しんでいます。
毎週水曜日がお休みで、宿泊のお客様が居ない日は、叔父とも仲良くしています。

その時は、気分を高めるためにホテルを利用する事もあります。そこでは、叔父だけのメイドになって、自分でも恥ずかしいのですが、叔父の好きなメイド服やセクシーな下着で装っています。もちろん、ベッドの上でご奉仕するのです。
ブライダルインナーを身につけて、花嫁のような姿になることもあります。

法律上は、性転換しても叔父と結婚はできないので身体に負担のかかる手術は受けていません。声が高くて乳房がある私ですが、恥ずかしいのは、期待してペニちゃんが、ショーツに収まらない時があるのです。
お口に含まれて、さらに大きくなってしまっても、最後には、やさしく触れられたペニちゃんから、快感と同時にミルクがほとばしると、おとなしく小さくなるのです。
最近は、叔父のものを受け入れる叔父専用の入り口が、大きく開くようになり、叔父も挿入しやすくなったと喜んでくれています。
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